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私も、彼は劣等感の塊だったと受け止めているが、それは彼の多くの言葉を受けて私自身の生き方を考える中では、重要な要素とはならないな。
私にも、また誰もが様々に大なり小なりの劣等感を内包していて、それを自ら秘かに感じるか強く意識しているかを違いにしても、それを気持ちを高揚させる熱源にしたり、冷静にするための鎮静剤にしたりと、それなりにイロイロと役立つものだから。
彼が市ヶ谷の総監部で、あのような最期を遂げたのには、戦勝国資本の殖民地として存在する日本の在り様を許せなかった心情を察しながら、そこを舞台に設定してクーデターを喚起したのには、先ずは脚本家としての彼の演出力を感じた記憶がある。
そしてあの事件当時の日本人には、多くが彼を理解し難く、いや、最初から何も考え様とはしなかった、考えなくとも好い、そうした重りのような思考停止の空気で満ちていた。
そして彼の名前は、悲しいかな、現代の若者たちの頭には一片も残っていないだろう。
彼はこの動画で、愛を語っている。
彼の声と共に、是非、数多くのコメントに注目して頂きたい。
これだけ多様で数多くある言葉の中には、拝読するに価値ある沢山の宝石が埋まっている。