ウォーレン・バフェット曰く『我々が歴史から学ぶべきなのは、人々が歴史から学ばないという事実だ。』
プレゼンテーション・プレゼンというカタカナ語がこの日本を被い始めたのは、やはりIT産業が勃興し始めた頃だ。
薄暗い中に浮き上がる大きな画面と画像が、このプレゼンとも言われる怪しげな行動の胆であるのは否定しがたく、映画館と同様に暗闇は集団意識の一点集中と統率に有効で、晴天の下では感覚意識が周囲の環境に分散し易いのだ。
つまり、充分な意図をもってそういう環境を観衆に提供している訳だ。
私は、あの陶酔感に満ち溢れたナチスの党大会が、このプレゼンテーション会場と全く相似形であることを忘れる訳にはいかないのである。
それは1%層に操られたヒトラーの言葉の数々を思い起こすのに、99%層にとって充分な意義があるという事だ。
「政策実現の道具とするため、私は大衆を熱狂させるのだ」
「大衆は小さな嘘より、大きな嘘の犠牲になりやすい」
「人々が思考しないことは、政府にとっては幸いだ。」
「弱者に従って行くよりも、強者に引っ張って行ってもらいたい…大衆とはそのように怠惰で無責任な存在である」