「このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないか」
「或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう」
三島由紀夫の二つの言葉では、今や下段の言葉よりも上段の言葉が現実になった。
凡そ30年近く前に中国の李鵬が、いや当時の中国中枢にいた政財官全てが、日本は消えて無くなると見透ししていただろう。
そう考えなかったのは、当の日本人だけなのだ。
『「二十五年間に希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。」— 三島由紀夫「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年』