職場のハイヒール強制にNO! 日本で「KuToo」広がる
sputnik© Depositphotos / Мartinan
2019年06月04日
「MeToo」の次は、「KuToo」だ(笑)。
だがクソなメディア程、福島原発や福島の子供たちには関心を寄せようとはしない。
何時も言うが、欧米発の女性社会運動の類に直ぐ飛びついて、必ずカタカナ語か英語を要所々に用いるという女性主体の社会運動体に必須となるこの振舞いは、カノジョら浅薄で胡散臭い、如何わしい運動体に共通した形態である。
つまりは、そうした類の運動は、それを着飾ることで、周囲の人々から自らの存在性を印象的に高めた位置に置きたいという、自己満足的な「KuToo」という「差別化」のネックレスだ。
そして、支配層は何も痛くは無い、若者層のガス抜きには持って来いの運動を銀座辺りのデモで一花咲かせ、そこでメディアからのカメラの照明を華やかに受けた後は、お決まりの居酒屋談議に花を咲かせるだろう。
所詮は、ジジババが「KuToo」に目を向けて、この運動の意味を考え理解してもらわなくても構わない、お祭り騒ぎが大好きなワタシたちだけがヤレば好い、そういう運動体だ。
私は、この日本でカタカナ語や英語の氾濫に何一つ疑問を持たない、背景に何が在るのか、深く考えたことが無い、抵抗感を持たない、それどころか自らそれを掲げる思慮浅き人間には、信頼性を欠片一つさえ置く事が出来ない。
そして凡そ、そうした怪しげな運動の場合、あのSEALDs系運動に顕著であった様に、何故かテレビ新聞がその運動体を報道し続けるのが定石で、その裏で運動が何らかの目的の社会的影響を与える様に仕向ける組織、何時もの通りに広告代理店の存在を疑うのには、私は抵抗感は全くないのである。