差別禁止ネットワーク結成を報告 広島市に条例制定求め:北海道新聞 どうしん電子版 (hokkaido-np.co.jp)
差別禁止ネットワーク結成を報告 広島市に条例制定求め
北海道新聞12/14
私だって心の中で、態度が悪い店員にはカチンと来て「このブス!」と吐いている(笑)。
それは、リッパに差別である。
「ハゲ!」「チビ!」「老害!」「乞食!」「ビンボー人!」と思うのもまた、そうだ。
思うだけで、理念として本来的には十分に差別なのだ。
そうした差別的な潜在意識は、誰もが本能的に一定の攻撃性として持っている。
そして差別禁止の法は、それが積極的な意思表示として現れれば、それに対する極めて高額な損害賠償請求の判例などで、現に存在している。
しかし、こうして「差別発言総体への禁止」の方向へ進めば、危険な見えざる圧力となってあらゆる発言を委縮せしめ、それは自由な内心の保障を最も重要視する自由主義社会である限り、決してあってはならない「内心への取り締まり」「思想と感情への統制力」として機能するのだ。
その結果、私が若い頃と比べて現在では、政治家など支配層にまつわる報道について数千万円という高額な損賠請求が認められる判例が続出した事態に警戒し、新聞TVのクソメディアはより一層、メディアの責務を棄てて、支配層の問題疑惑報道を委縮した。
この市民団体とやらは、それをどう考えるのだろうか。
こうして自由主義の瓦解と全体主義社会が、無知と善意という2色の正義で喧伝されて行く。
正しく「地獄への道は善意で敷き詰められている」。
そして「唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知である」ソクラテス。